2018年1月10日水曜日

謙遜は栄誉に先立つ

 中国宣教にその身をささげたイギリス人宣教師、ハドソン・テーラーという神の器(奉仕者)がいます。彼の働きで特筆すべきは、彼が宣教の働きにおいて、現地の人と同じ服を着て、現地の人のように生活していたことです。また、経済的に豊かになっても、生活レベルを上げることをせず、その分をささげ、清貧を旨とした生活を送っていたことです。
 こんな信仰を持っている彼を、神さまも豊かに用いてくださり、彼の働きは豊かに実を結んでいきました。
 ところで、聖書の箴言(しんげん)に「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(1812節)という一節があります。ひとたび心が高くなってしまうと、なかなか低い昔には戻れません。そればかりか破滅に向かいます。実に恐ろしいことです。
 数年前、お笑い芸人の登竜門であるテレビ番組がありました。当時まだ無名でしたが、その番組に出演して成功することができたAさんが、先日、雑誌で興味深いことを語っていました。ブームが去り、今は収入が最盛期の十分の一以下になったのに、生活レベルを落とすことができない、というのです。いったん高くなってしまったら、元に戻るのは至難の業です。戻れないといった方が適切かもしれません。
 かつて私は、上から目線で語ってしまった一つの言葉で友人を失いました。こんな苦い経験があるので、今は、随分慎重になりました。高ぶると一切を失います。
 清貧は恵みです。ハドソン・テーラーが、清貧の道を行ったことは、神の御旨にかなったことでした。高ぶりや高慢はやがては自分自身を貫きます。そして多くのものを失います。反対に、謙遜は多くのものを受けるのです。低い心を求めていきましょう。 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年1月14日号(第972号)より転載—

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