2018年2月14日水曜日

契約

 前回、キリスト教を理解するには、「契約」という視点から読み解くことをお勧めしました。霊の世界も同様で、「契約」で成り立つ世界です。
 私は、四国の鳴門で生まれ育ちました。ご存じのように、四国は八十八箇所の霊場があり、親族は皆、巡礼を欠かさず、弘法大師に帰依し、口寄せ霊媒に聞く風習が今もあります。
 こういった環境にいたので、私は自然と悪霊の声を聞く耳ができてしまいました。サタンは「神なんかいません。神がいるならどうして今のあなたを助けてくれないのですか。私を信じなさい。私は決してあなたを裏切るようなことをしませんよ」と言ってきました。
 この大ウソにだまされて、私はサタンと契約関係を結びました。
 思春期になると、この交わりも限界が来ました。サタンの狙いは私の命でした。自殺の思いを入れられ死のうとしたところに、神の手が入りました。牧師ははっきりと、神さまは、私を見捨ててなどいないこと、サタンは偽りであり、偽りを信じさせていること、このような関係を続けていると確実に行き着く先は死であると告げてくれました。
 霊の世界は「契約」です。サタンから益を受けたなら、その見返りは必ず求められます。サタンが好んで狙う見返りは命です。長い間、私に自殺の思いが消えなかったのも納得がいきます。
 しかし、その日、私は牧師を証人として、サタンとの「死の契約」を破棄し、イエスさまとの新しい「救いの契約」を結びました。イエスさまは私が支払うことのできない贖(あがな)いの代価をご自分の命をもって支払ってくださいました。十字架の死、これが私たちを救うために神が支払われた、尊い血の代価です。こういう訳で、あなたもまた、信じるなら救われます。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年2月18日号(第977号)より転載—

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