2018年1月2日火曜日

忘れてはならないこと

 聖書の中で、どの聖句を好むかと問うたところ、多くの人がヨハネの福音書3章16節を上げました。そこには、このように書かれています。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(みこ)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」
 ひとり子、御子と語られているのは、イエスさまのことです。イエスさまは父なる神のひとり子です。神さまにとって唯一無二の存在です。これを下さったとはどういうことでしょうか。
 これは、イエスさまが十字架にかかって成し遂げられた救いについて語っているのです。神は、原罪のもとにつながれている私たちを愛し、あわれみ、ご自分と世を和解させるため、御子イエス・キリストを世に下さいました。イエスさまは、十字架で私たちの罪を負って死なれ、また、3日目に復活されたのです。
 こういう訳で、今や私たちはイエスさまの十字架によって、永遠のいのちを受けています。
 さらに、ローマ人への手紙8章32節には、こう書かれています。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」
 神は、ご自身にとって最も大切な御子を、私たちに下さいました。御子を下さったということは、すべてのものを下さったということに等しいのです。私たちは、これほどまでも深く神に愛されています。
 確かに、私たちに問題困難は許されます。しかし、神の愛はそれ以上に深いのです。どうしてすべてのことを働かせ益としてくださらないことがありましょう。こういう訳で私たちは、神に信頼いたしましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年1月7日号(第971号)より転載—

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