2017年12月7日木曜日

受けたと信じて

 聖書のことばは生きていて、しばしば私たちの信仰に訴え、チャレンジしてきます。マルコの福音書1122節~24節もその中の一つで、次のように書かれています。
 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言った通りになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」
 このみことばは、聖書の中でもよく引用される一文で、「すでに受けたと信じなさい。そうすれば,そのとおりになります」というのがポイントです。神さまのみこころにかなう祈りであったとしても、すでに受けたと信じる歩みをどう表現したらよいかが思案のしどころでした。その中で私は、受けたと信じて躍り上がって感謝の言葉を語るようにしました。「受けました。ありがとうございました」と躍り上がって告白するのです。結果は、失望に終わったことなど一つもありませんでした。
 教会では患難や困難に出会う時、それをありのまま感謝することを勧めています。聖書にも「すべての事について、感謝しなさい」(テサロニケ人への手紙第一5章18節)と書かれており、感謝する事はあらゆることにおいて有効です。感謝は神の御手を動かし、感謝は信仰を引き上げるのです。これが信仰を使うということです。
 受けたと信じ踊るダンスは楽しいものです。私はピョンピョン跳び上がるばかりなので、すぐ息が切れていました。しかし、近頃は新しい振り付けで躍ります。心の底から喜びがふつふつと涌き起こります。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年12月10日号(第966号)より転載—

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