2017年9月29日金曜日

信仰と不信仰

 イスラエルが、約束の地カナンに来たとき、神はモーセを通して、12人の族長にカナンの地を探らせました(民数記1314章参照)。40日がたつと彼らは帰って来て、その地が乳と蜜が流れる素晴らしい土地であることと、先住民は巨人で、町々は城壁を持ち、占領するのは難しい、という判断を持ち帰ってきました。
 その中で、カレブとヨシュアが「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」と信仰を告白しました。
 ところが、この2人を除いた族長たちは不信仰で、民もまたモーセとアロンにつぶやき言いました。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに」「さあ、私たちは、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう」
 これを聞くとヨシュアとカレブは自分たちの着物を引き裂いて全会衆に言いました。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう」2人は信仰に立っていました。
 しかし、民は不信仰に立っていました。主は彼らの言葉によって彼らをさばきました。
 その結果、斥候が巡り歩いた40日を40年と数え、ヨシュアとカレブを除いた二十歳以上のものは全員、40年の荒野の生活の中で死ぬこと、しかし、彼らの子どもたちと、ヨシュアとカレブだけは約束の地カナンに住むことができることになりました。
 不信仰は、神の祝福を見えなくさせる恐ろしい罪です。私たちは、信じない者ではなく、信じて祝福を受ける者でありましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年10月1日号(第956号)より転載—

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