2017年5月4日木曜日

神の守り
 先日、主の助けと守りのわざを見ました。
 私たちは北海道に住んでいます。広大な北海道での宣教には車は不可欠で、毎月2000キロは走っています。12月に車検を通した折、タイヤの不自然なへりを指摘されました。しかし、そのまま車検は通ったので、差し迫った問題ではなかろうと思っていました。
 そうこうするうちに、オイル交換の時期が来て、作業場で、例のタイヤの箇所を見せてもらうことになりました。すると、何とすり減ってワイヤがむき出しになっていました。家から工場までは、車で5分ほどの距離です。しかし、その5分の間にもバーストが起きても何ら不思議ではない、と整備の人に言われました。
 私たちは驚きました。翌日には小樽に、次いで室蘭に、函館にと、宣教の予定がありました。もしも、バーストの危険を知らずに運転していれば、間違いなく途中で大事故を起こしたことでしょう。よくあの時タイヤを点検したものです。そこには主の特別なご介入があったと思います。
 そういえば2、3カ月前から車に乗るたびに、危険だ、という思いが来て、そのために祈っていました。神さまは、ただ一方的な恵みの手によって、危険から私たちを守ってくださったのです。
 詩篇127篇1節に、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい」と書かれています。私たちはあれこれ動きますが、主がしてくださらなければ何も成らないことを聖書は語っています。人の手のわざはむなしいのです。
 神さまは救い主です。また折にかなった助け主です。あなたの人生にも神さまが必要です。主を求めましょう。そしてあなたもまた、神が下さる恵みのうちを歩んでください。
 
(イスラエル北野)
み声新聞2017年4月30日号(第934号)より転載—

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