2017年3月13日月曜日

富める若人
イエスさまの宣教途中、1人の青年がイエスの前に走り寄り、御前(みまえ)にひざまずいて尋ねました。
 「永遠のいのちを頂くにはどうすればよいのですか」。イエスさまは守るべき教えとして律法を挙げましたが、青年は「先生。私はそのようなことはみな、小さい時から守っております」と言いました。それを聞くとイエスさまは、彼を見つめ、いつくしんでこう言われました。
 「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについてきなさい」
 するとその青年は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去りました。「なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである」と聖書(マルコの福音書10章)は記しています。
 人は、神さまに従う、といっても、ここまでは従いますが、これ以上は従いません、という弱さを持ちやすいものです。
 青年も、落ち度なく律法を守ってはいました。けれども、全財産を捨てるとなると、話は別でした。富を投げ打ち、身一つでキリストに従っていく道を選択することは、彼にはできないことでした。
 彼は律法を完全に守り行うことはできませんでした。そう、できないのです。お弟子たちは「それでは、だれが救われることができるのでしょう」と言いました。
 イエスさまは「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」と言われました。
 全財産を捨ててまでして主に従うことは、人にはできないことです。しかし、神さまにより頼むなら神は従わせてくださいます。そして、全てをささげきった人生に、神さまは大いに報いてくださいます。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年3月12日号(第927号)より転載—

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