2017年2月12日日曜日

 
 今年もまた、長崎の西坂で日本二十六聖人殉教記念聖会が持たれます。
 約400年前、この西坂で、外国人6名、子ども3名を含む26名が信仰を全うし、十字架にかけられ、殉教の死

を遂げました。彼らは日本で最初の殉教者です。
 その西坂は、今は公園になっています。他にも殉教の記念館があり、前面には二十六聖人のレリーフがあります。

そして、その土台の所には次のような聖書のことばが刻まれています。
 「人若し我に従はんと欲せば、己を捨て十字架をとりて我に従ふべし(だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい)」(マルコの福音書8章34節)。二十六聖人は

このみことばを体現していったのです。
 今でこそ、公に信仰を持つことが許されていますが、イエスさまを信じるなら殺されるという時代がこの日本にも確か

にありました。
 日本人といえばおっとりした善良な人たちという印象を持つ方が多いようです。しかし、日本人が日本人に対して

なした迫害の一つ一つは、非常に残酷なものでした。生かさず殺さずの取り扱いで、見せしめとはいえ人間がこんな

残虐な事を考えつくのかと疑うようなひどい仕打ちが老若男女問わず次々に実行されました。
 しかし、迫害の中で流された殉教者の血は、リバイバル(聖霊による信仰復興刷新)の種だと言われています。主

はその血に報われます。こういう訳で私たちはリバイバルを待ち望んできました。そして、その時が来ました。
 殉教者たちは、この世の命ではなく、永遠のいのちを見つめて天に凱旋していきました。彼らから学ぶ事は多いの

ではないでしょうか。(イスラエル北野)

み声新聞2017年2月12日号(第923号)より転載—

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