2017年1月15日日曜日

金銀より確かなもの
 私たちの人生は、よく四季に例えられます。かつて思春期があったように、老いて今は思秋期を迎えています。社
会の表舞台から少しずつ身を退け、後進に席を譲ることが求められてくる年齢です。
 五十の声を聞いて、私も、自分が死んだ後、子に何を残してやれるだろうかということを折節に考えるようになりま
した。未信者のKさんは、未婚のお嬢さんが一人で生きていけるよう、退職金に手を付けず残すことを決めました。
自分にはこれぐらいしかできないのだと力なく語った様子が印象的でした。
 一見、お金は万能です。金銭はあらゆる必要に応じます。ですから退職金を残したKさんはできる全ての事を行
いました。しかし、何とも救いがないのです。お金があるからといっても、一事が万事、全てが守られるとは限りません
。より確かなものは別にあるのです。
 ところで、使徒の働き3章に興味深い記述があります。生まれつき足のきかない男が、施しを求めて宮の門に運ば
れてきました。彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て施しを求めたところ、ペテロは「金銀は私にはない。し
かし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」。そう言って右手を取って立たせま
した。たちまち足とくるぶしが強くなり、男は歩いたりはねたりしながら、神を賛美し、宮の門に入って行きました。
 どんなにお金があっても、決して手に入れることのできないものを、この男は手にしました。金銀より確かなものは、
キリストであり、その御名です。子に残してやれるもの、それは、神さまご自身です。生きて働かれる神さまこそ、あな
たへの答えとなります。
 
(イスラエル北野)
み声新聞2017年1月15日号(第919号)より転載—


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