2017年1月13日金曜日

弱さを誇る
ペテロとパウロは、初代教会時代の建て上げに当たって双璧をなすキリスト・イエスの働き人でした。ペテロが無学な漁師であったのに対し、パウロは最高学府であるガマリエル門下に属するエリート中のエリートでした。
 初め、パウロはキリスト者を迫害しました。パウロはそうすることが神の御心だと確信していました。ところがダマスコヘ向かう途中、彼はキリストのことばを聞き、自分の誤りを知らされます。
 この体験以降、パウロは180度変わりました。パウロは「わたしはキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ人への手紙3章8節)と告白するに至りました。
 さらに、パウロは、「わたし自身については、自分の弱さ以外には誇りません」(コリント人への手紙第二12章5節)とも告白しました。主もまた、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(9節)と語ってくださいました。
 私は18歳の時に救われ、この宗教のあまりの素晴らしさに献身しました。意気込みは強く、福音のためなら何でもするつもりでした。ところが、私にあてがわれた道は予期せぬ病でした。入院し、進むことも退くこともできず、弱さを味わいました。しかし、これが神の御旨だったのです。私の強い所ではなく、私の弱さこそが神さまの目にかなっているのだと知るに至りました。
 こういうわけで、今はパウロ同様、「むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(同節)と言い得るのです。弱さはキリスト・イエスにあって強さに変えられます。これこそ、神さまの栄光の現れです。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年1月8日号(第918号)より転載—

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