2016年11月21日月曜日

悔いる必要はありません

 悔いというものは人をネガティブにさせる厄介な感情です。
 先日私は、愛用のせっけんを取ろうとして、誤ってトイレの中に落としてしまいました。アハバの死海の泥が配合されているせっけんで、数年前現地で買いました。日本では手に入れにくいもので、しかも最後の1個です。あれ~っという感じでした。
 こんな時、心の隙間に失望、落胆が生じます。しかし、幸いなことに私たちは「すべての事を感謝しなさい」(テサロニケ人への第一5章18節)という聖書のことばを知っています。
 かれこれ20年、良い事があっても悪い事があっても全ての事を「感謝します」と語り続け、いよいよ頭で理解するより先にその一声が口をついてくるようになりました。その成長を神さまに感謝します。
 また、故事成語の一つに「覆水盆に返らず」というものがあります。器がひっくり返ってこぼれた水はもう元通りにはならない、といった意味です。元通りにならない、だから底なしに悔い続けるのです。
 しかし、ローマ人の手紙8章28節には次のように書かれています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
 これは神さまの約束です。どんな問題があっても、全能なる父なる神はそれを益と変えてくださいます。神さまは私たちに許される問題の背後に、ご自身の素晴らしい祝福を用意しておられるのです。その事を信じられますか?
 ぜひ、信じてください。すべては益に変えられます。私たちの喜びは尽きることがありません。(イスラエル北野)
み声新聞2016年11月20日号(第911号)より転載—

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