2016年11月19日土曜日

天の国籍
 今、ちまたでは、蓮舫氏の二重国籍問題が取り沙汰されています。国籍の問題がここに来てにわかに脚光を浴びています。しかしこれは昨日や今日起こった問題ではなく、日本においても国籍を選ぶという問題は昔からありました。これからさらに、増えるでしょう。
 というのも、一つには時代の変化が来ているからです。私は北海道のA市に住んでいます。大都市ではなく中都市くらいの人口で都から離れています。にもかかわらず役所に行けばインドの格好をした方が数人いて流ちょうな日本語で話しているのを見、ホテルや介護の職に安い労働力として外国の方が用いられています。これは一世代前には考えられなかった光景であり、この延長線上にやがては、日本国籍を求めて永住する方も出てくるでしょう。しかし、移民受け入れの問題を含めて国籍の問題は一筋縄ではいかない問題です。それは民族の問題だからです。
 その中で、韓国籍と日本国籍の間でどちらを選ぶかという岐路に立たされたある韓国人クリスチャンの方の体験談を読みました。どちらに、よりアイデンティファイ(自己同一化)できるかという問題になりますが、どちらとも答えは出なかったと彼は語ります。これはもっともな事です。なぜなら彼はクリスチャンなのです。世から贖われた神さまの子です。彼の帰属は神さまにあります。世の国ではなく神さまの国が彼の国でありまた、国籍であるのです。
 さらに、聖書にもピリピ人の手紙3章20節に「私たちの国籍は天にあります」と書かれています。彼の目は開かれました。何人であろうが、キリストにあっては私たちは天国人です。民族の壁も打ち破る天の国籍こそ私たちが帰るべき故郷を示しています。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年11月13日号(第910号)より転載—

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