2016年8月22日月曜日

慰め
 先日、病院へ行ったところ、隣が新生児科で、生まれたばかりの赤ちゃんがいました。お母さんの腕の中であくびをしたり手を動かしたり、そのしぐさのかわいいこと。赤ちゃんが欲しくて盗んだ人がいると聞きますが、その気持ち、分かるような思いでした。
 しかし、われに返り目の前の赤ちゃんを見ると、その子は難病なのです。誕生とともに病との闘いに直面している赤ちゃんと、お母さんの姿には胸を打たれました。
 こんな時、どうお慰めすればいいか言葉に困ります。しかし、少しはその心を分かり合えるかもしれません。というのは私の赤ちゃんは、誕生を目前に天に帰っていったからです。そのあまりの悲しみに、私は生きる意欲を失いました。
 子を亡くすことはつらいことでした。しかし、神はこれを益に変えてくださいました。難病と闘うお母さんを慰める慰めの言葉が湧き上がってくるのです。
 コリント人への手紙第二1章4節に「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」と書かれています。これは真実です。また同6節には「もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです」「その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです」と書かれています。
 私たちの受ける苦しみは、必ず他の人を慰め、立ち上がらせる力となるのです。私たちの人生に無駄なものはありません。神さまに信頼し、従っていきましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2016年8月21日号(第898号)より転載—

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