2016年5月10日火曜日

ブーメラン
 それは、荻窪にある小さな家から始まりました。女子大生4名の者が主の御手によって集められ、同じ釜の飯を食べ、祈りや聖書研究にいそし
んでいました。
 その当時の私たちの課題は、もっとも自分が大切にしているものを主におささげする、というものでした。格闘の末、私は文学をささげました。フォ
ークソングが大好きで、シンガー・ソングライターに憧れていたMさんはこれをささげました。哲学を専攻していたHさんは、哲学では死んだはずの生
ける神を知り、楽しみであった「カーペンターズ」をささげました。Aさんもまた、あらためて人生を主にささげました。
 マルコの福音書8章34節に「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」とい
う一文があります。このことばに試され励まされ、四つに組んで格闘しました。
 それから、30年がたちました。
 文学を捨て牧師夫人になった私は、もう物を書くことなどないと思っていましたが、こうして拙文を寄稿させていただいています。ささげたものが戻
ってきたのです。私たちはこれを、ブーメランと呼んでいます。青春時代に精いっぱい遠くに投げたブーメランが30年の年月の中で力強く戻ってきまし
た。
 Mさんは、ささげた音楽の道が祝福され、ゴスペルシンガーになりました。CD3枚がリリースされ多くの名曲を生みました。Hさんは宣教師になり、
地球の反対側のB国に根を張って働いています。そして、Aさんは牧師夫人としてご主人を支えています。みな、あのころささげたものの幾倍の祝
福にあずかっています。
 神に聞き従う時、全ての事は益になり、幾倍もの祝福を受けるのです。主に期待いたしましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2016年5月8日号(第883号)より転載—

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