2016年5月3日火曜日

神の守り
 かれこれ十数年も昔の話です。小学生の娘と幼稚園児の娘とともに保養施設で休日を楽しんでいたところ、とんでもない事が起きました。
 プール遊びを切り上げて、部屋に戻って来たにもかかわらず、私が妹の面倒を見るから、もう一度プールに行かせて、と長女がせがむのです。子どもたちだけでは不安です。夫もプールに行きました。
 夫が何げなくプールサイドに腰を下ろしていた所、「ポチャン」という小さな音を拾いました。見ると下の子が見当たりません。急いでプールに駆け寄ると、両手を上げたままゆっくりと底へ落ちていくところでした。すぐさま手を取り、引き上げると大声で泣き、生還を果たしました。
 面倒を見る、といったお姉ちゃんは、プールの真ん中に置いてあるボートに乗ろうと夢中でした。もし、子どもたちだけでプールに行かせたら、また夫がプールサイドにいなかったら、「ポチャン」という小さい音が聞こえなかったら、この子は多分亡くなっていたことでしょう。私を憐れんで、神はそのような事のないように特別に守ってくださったのです。感謝し切れないくらい感謝しています。
 詩篇121篇にこう書かれています。「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」(1,2節)「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」(4節)「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる」(7節)
 この体験のおかげで、私は、命を守られるのは主だと知りました。当たり前だと受け取っている一つ一つも、神の手によるのです。恵みという他ありません。 (イスラエル北野)

み声新聞2016年5月1日号(第882号)より転載—

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