2016年2月14日日曜日

殉教の招き
 長崎を初めて訪れたのは20歳ごろです。知人に勧められて、妹と2人で、長崎で殉教した二十六聖人の足跡をたどる巡礼に行くことにしました。
 二十六聖人とは、日本で最初の殉教者となった、子ども3名と外国人宣教師を含む総勢26名の信仰者のことを言います。聖人という名称はカトリックの呼び名ですが、彼らは私たちと何ら変わりない信仰者たちです。ただ一方的な主のお計らいによって召し出された、日本で最初の殉教者です。
 彼らの殉教地として選ばれた、長崎の西坂の丘は、長崎湾を眺める所にあり、長崎に着いた時と、帰る日と2度、私は西坂に足を運びました。そして帰り道、バスの中から外を見ていると主が静かに語ってこられました。「彼ら同様あなたもまた、私に命をささげますか」
 結論から言うと、私はこの声に応じることができませんでした。はいともいいえとも言えませんでした。そうさせてくださいというのが精いっぱいで、そこから私の戦いは始まりました。「死に至るまで忠実でありなさい」(ヨハネの黙示録2章10節)というみことばを求め続けて、もう30年になります。
 マルコの福音書8章34節に「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と書かれています。主というお方は、基本的には無理強いをなさいません。私たちが主の十字架を選ぶ時に、主もまた応答してくださり、私たちを用いてくださるのです。
 主は、二十六聖人をはじめとした日本で流された殉教者たちの血を覚えておられます。リバイバルは始まっています。穂はもう刈り入れるばかりです。これからの導きに期待しましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年2月14日号(第871号)より転載—

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