2016年1月16日土曜日

光と闇
 1986年7月、父が食道静脈瘤破裂で死線をさまよいました。夜中、病院から連絡があって、父の元に駆け付けました。あくまでも、私個人の感覚的なものですが、枕元に立って祈ると、今まで父が拝み仕えていた、あらゆる種類の悪霊どもが、父はいよいよ自分たちのものになるのだと言ってざわめいているのが見えるのです。
 感謝すべきことは、その時私はすでにクリスチャンになっており、霊の戦い、対応を知っていたことにあります。これまで、父が信心していた何十もの偶像や悪霊、宗教を、一つ一つ主イエス・キリストの御名によって縛り、父との関係を断ち切りました。
 不思議なことに、その時、私は父と同じものが見えました。そして主の御名がどれほど威力があるのかを体験しました。イエスの名を用いると悪霊は退く以外にないのです。その勝利は圧倒的なものでした。
 ヨハネの福音書1章5節にはこう書かれています。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」。私はこれを紙に書いてベッドに貼り付け、繰り返しこのみことばを語り、キリストの勝利を告白しました。
 主の戦いは、敵と四つに組むようなものではありません。神とサタンは五分の戦いではありません。やみはどんなに深くとも、そこに光が置かれるなら直ちに消失します。やみは光に打ち勝てません。このような勝利が神の下さる救いなのです。この事を通して、父は救いを受け入れ、救われました。
 光は、イエス・キリストその方です。もはや暗やみにとどまる必要はありません。「あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい」(ヨハネの福音書1236節)
 
(イスラエル北野)

み声新聞2016年1月17日号(第867号)より転載—

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