2015年11月29日日曜日

 
 「命短し恋せよ乙女」という歌があります。50の峠を越えて私も、今ではこれに同感です。娘たちにはぜひ人生の中で恋を知ってほしいと思います。その切なさや喜び、つらいことなど、恋を知って人は大人になって行きます。
 一番つらいのは、失恋です。失恋は自分の全てが否定されたように感じるものです。私も自分の気持ちをどこに持ってゆけばよいか分からなくて、苦い涙をこぼしました。
 でもね、やがて涙は枯れ果てて、新しい出会いがあるのです。この点で、あなたはイエスさまを信頼できますか。
 私たちがまだ若かったころ、教会に失恋した女の子が来ていました。彼女は恋人と別れて、悲しみに打ちひしがれていました。相手を愛おしく思うその思いが、突然行き場を失ったのです。私たちはどう慰めればよいのか、見当もつきませんでした。
 愛を失うことは寂しいことです。牧師はその女の子にこう語りました。「あなたが彼を愛するように、イエスさまはあなたのことを愛しておられるのですよ」この言葉は彼女の心に触れました。失恋したとはいえ、愛を知っていたから、イエスさまがどんなに自分を愛してくださっているか分かったのです。彼女は慰めを受けました。
 皆さんは、イエスさまがあなたのことを愛してくださってるという話を聞いたことがありますか。その愛は真実で、命をも厭(いと)わぬものでした。イエスさまは、私たちを救うためカルバリの十字架で命さえも投げ出し、私たちが神に帰ることができるように贖ってくださいました。その痛み苦しみは、私たちのために味われたものなのです。イエスさまはそれほどまでも、あなたのことを愛しておられます。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年11月29日号(第860号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿