2015年10月17日土曜日

栄光のからだ
 ピリピ人への手紙321節に「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです」と書かれています。栄光のからだとは何でしょう。
 それは、復活の際に与えられるよみがえりのからだです。この栄光のからだはイエスさまの身にまず起こり、次いでイエスさまを信じた聖徒たちに与えられます。コリント人への手紙第一15章にはこう書かれています。「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ(中略)血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです」(4244節)
 こういう訳で、キリスト・イエスにつく私たちは、死んでもよみがえりのからだを頂き、やがて主の日に復活します。私たちには、死を超えた先にまで望みがあり、死んで終わる血肉のからだを脱ぎ捨てて、復活のからだを頂いて、永遠という時間を主と共に過ごすようになります。
 幼少のころ、歯の生え替わりを迎えました。ぐらぐらする歯が抜けると、表に出て「スズメの歯より早くはえろ」と唱えて乳歯を空に向かって投げました。私の故郷の慣わしです。
 復活のからだを頂くことはこれと似ています。初めに出てくるのは乳歯ですが、やがて永久歯に生え替わります。乳歯が必ず永久歯に生え替わるように、イエスを信じる私たちは、死にますが、もはや決して死ぬことのない復活のからだ、栄光のからだを後に受けるのです。
 イエスさまはよみがえりの初穂です。イエスさまを信じましょう。私たちにもまた、栄光のからだが備えられているのです。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年10月18日号(第854号)より転載—

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