2015年9月20日日曜日

祈り手
 アメリカに、短い期間で一気に信者数が1000名を超えた教会がありました。牧師夫妻は成功した人としてマスコミにもてはやされました。
 ところが、あるところから急に教会の勢いが鈍くなってきました。飛ぶ鳥を落とす勢いで何をやっても成功しましたが、そうもいかなくなってきたのです。何があったのでしょう。
 実はこの教会には、そのころ天に召された、祈り手がいたのです。ルカの福音書2章に、アンナという女預言者が昼も夜も、断食と祈りをもって神に仕えていたという記述があります。このような隠れた祈り手の祈りが教会の働きを支えていたのです。
 さらに、詩篇115篇1節にはこんなことばが書かれています。「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください」
 ある教会が古くなった会堂を解体していたところ、隠れた所にこの言葉が書かれていました。そこには一体どんなドラマがあったのでしょう。
 神の前には有名も無名もありません。神の心をわが心として生きてきた祈り手こそがまず神の称賛を受けるのです。神の隠れた戦士たちは、教会の破れ口に立って日夜とりなしています。このような隠れた働き手こそ、神の前に覚えられているのです。
 ジョージ・ミュラーは、早朝の祈りの中で天に召されました。彼の人生を証しする最高の祝福だと思います。神の評価は人の評価とは異なります。あなたが神に用いられる時、誰かの、隠れたとりなしに助けられてのことかも知れません。それゆえ、私たちはへりくだりましょう。そして神を恐れることを学びましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年9月20日号(第850号)より転載—

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