2014年9月13日土曜日

殉教
 中国のリバイバルまた迫害時代に用いられたママ・クワングさんは、殉教に対
して第二テモテ2章をその根拠として挙げました。
 そこには「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるように
なる。もし耐え忍んでいるなら、彼とともに治めるようになる。もし彼 を否ん
だなら、彼もまた私たちを否まれる」(1112節)と書かれています。
 彼とはイエスさまのことです。誰でもキリストを否んだら、キリストもまたそ
の人を否まれるというのです。それゆえママ・クワングさんは、このみ ことば
から、たとい死ぬようなことがあってもでも主を否んではならない、と教えまし
た。聖徒たちはこのことばを守りました。多くの殉教者が出まし たが、そこか
らリバイバルが起こりました。
 歴史の中で、クリスチャンの信仰に恐れを抱いた政治指導者たちは少なくあり
ません。彼らクリスチャンたちは、死をも恐れずにその信仰を全うした からで
す。彼らは死に至るまで忠実でした。命を選ばず、殉教の死を選んだ彼らは、も
はや世にあっても世の人ではなかったのです。自分たちにではな く、神にのみ
服従する彼らに、世の指導者たちは脅威を抱きました。こういうわけで、私たち
は世に憎まれ迫害されます。またそう定められているので す。
 ヘブル人への手紙には「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見 て喜び
迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」と書かれて
います。(1113節)天国にあずかる希望は何にもましてす ぐれています。
救いはイエス・キリスト以外にありません。イエスさまを信じましょう。 (イ
スラエル北野)

み声新聞2014年9月14日号(第797号)より転載—

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