2014年7月9日水曜日

目のはり
 聖書には、「さばいてはいけません。さばかれないためです」という勧めがあ
ります。実行するには困難を覚えますがこれは真理を語っています。私 たちは
人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。
 私もまた身に覚えがあります。ちょっとしたことなのですが、時間がたつにつ
れ、ふつふつと怒りが湧き起こり、そういえばあの時もこの時もそう だった。
なんてひどい人、とまんまとサタンに乗せられて、恨みつらみが心を支配するの
を許してしまいました。
 それに関して神さまはこのように語られました。「なぜあなたは、兄弟の目の
中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのです か。兄弟
に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うので
すか。見なさい。自分の目には梁があるではありません か」(マタイの福音書
7章3、4節)
 梁とは、家を支える横木の柱を言います。自分の目にこんな大きな物を持って
いながら、兄弟の小さな目のちりを指摘するのがいかに見当外れなもの かを、
イエスさまは説いておられるのです。
 私たちは皆、等しく罪人です。イエスさまお一人だけが罪の無いお方であり、
イエスさまは私たちの罪を赦すために十字架で死んでくださいました。 主が赦
してくださったのですから、私たちもまた、互いに赦し合うものでありましょ
う。そして主の助けを頂き、熱心に愛しあいましょう。
 私たちが互いに赦し合い愛し合うなら、多くの人が私たちを通して神の愛を見
いだし、神を知るようになります。互いに赦し合うことは神が喜ばれる いけ
にえです。その力も神は与えてくださいます。 (イスラエル北野)

み声新聞2014年7月13日号(第788号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿