2014年2月3日月曜日


イエスさま
イエスさまは、どんなお方であったのでしょう。聖画には優しくハンサムに描か
れていますが、イザヤ書53章3節には、「彼はさげすまれ、人々から のけ者に
され、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たち
も彼を尊ばなかった」と書かれており、らしからぬ風貌であっ たかも知れません。
 イエスさまは、父なる神さまのひとり子です。万物は、この方によって造られ
ました。王の王、主の主です。なのに、世に来られると、だれよりも苦 しい
所、低い所に立つ人生をおくられました。「医者を必要とするのは丈夫な者では
なく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招 くために来
たのです」(マルコの福音書217節)と語り、しばしば収税人や罪人たちとと
もに食卓を囲みました。弱い者の権利を守り、貧しい人を 差別することがあり
ませんでした。それゆえ迫害もねたみも受けました。最後には、ユダヤ人の王と
書かれた罪状で十字架に死なれ、贖いを成し遂げ、 私たちに永遠のいのちを与
えてくださいました。
 こんな王がいるでしょうか。さげすまれ、のけ者にされ、悲しみ、病を知って
いる王。しかし、私たちにはこれこそが最も必要なのです。貧困や病と いうの
は、いとも簡単にさげすまれます。金持ちを友人にしたい人は多いですが、貧し
い者は嫌われます。病も同様です。さげすみを受ける者の心の屈 折と痛みをだ
れが分かってくれるでしょう。
 イエスさまです。イエスさまはそこを通られました。ですから、どんな道に
あってもあなたを慰めることがおできになります。イエスさまの慰めは、 あな
たの生きる力となります。
(イスラエル北野)

 み声新聞2014年2月9日号(第766号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿