2014年1月15日水曜日


神の人
 30年も昔のことになりますが、日本のキリスト教界の重鎮であるA教会のI牧
師と、M教会のA牧師にいやしのために祈って頂いたことがありま す。
 I牧師はお医者さまで、祈るにあたって病名を言いなさいと言われたのです
が、そうとは知らず黙ってしまった私に、適切なみ言葉を示してください まし
た。それは、ローマ人の手紙8章32節です。「私たちすべてのために、ご自分の
御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっ しょにすべて
のものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」。これは、あなた
はいやされますよ、という意味の言葉でした。そしてこれ は、私の一生のみ言
葉となりました。
 また、A牧師は、目には見えないけれど、ここに神がいて、私が神に祈ると神
がなにがしかの働きをあなたになさるから、と前置きして祈ってくださ いまし
た。すると力が来、聖霊によって倒され、起き上がった瞬間、私は新しい人へと
変えられていました。
 この二人の牧師に共通するのは、神さまと心一つになっているところでした。
自らを聖霊の通りよき管として捧げ、起こるすべての栄光を徹底的に神 に帰し
ておられました。
 第二歴代誌16章9節にも、このように書かれています。
 「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つ
になっている人々に御力をあらわしてくださるのです」
 神に栄光を帰す人を、神は選ばれるのです。私たちも、自分の栄光ではなく、
神さまの栄光のために働きたいと願うなら、神さまは私たちを選び、御 力を現
してくださいます。神に仕える人生ほど素晴らしい人生を、私は他に知りませ
ん。 (イスラエル北野)

 
み声新聞2014年1月19日号(第763号)より転載—

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