2013年11月2日土曜日


あきらめてはいけない
私の住んでる北海道は、「試される大地」というスローガンを掲げています。
「試される」というのは本当だなと思います。
 ヤコブの手紙一章に、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それを
この上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるという こと
を、あなた方は知っているからです」(2節)と書かれています。
 信仰は必ず試されます。そういったものなのです。私は、召しを持った多くの
器が試され、時を待てずに去ってゆくのを見てきました。イスラエルの 宣教師
として召された姉妹がおられましたが、待ちきれずに教会を出て行きました。賛
美の賜物を与えられていた兄弟は、あと少し忍耐して待っていた なら賛美隊と
しての召しを見ることができたはずです。
 あと少し、というところで私たちは試されます。過ぎ去ってみればあと少しで
しょうが、当の本人にとってみれば、先は見えず、どこまで待たされる のか、
また本当に自分は召されているのだろうか、と信仰と疑いが絶えず戦っていま
す。これが信仰の試しなのです。もしあなたが、私の忍耐ももうこ こまで、と
いう事態に陥っているなら、その時こそ、出口は目の前かもしれません。
 ヘブル人への手紙には「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりませ
ん。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこ ころを
行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(1035節)と書
かれています。
 あきらめてはなりません。時が来、試しを抜けたら、私たちの信仰は確かな実
を結びます。忍耐を働かせ、試練をこの上ない喜びとしていきましょ う。
  (イスラエル北野)

 
み声新聞2013年11月3日号(第752号)より転載—

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