2013年6月3日月曜日


忠実さ
 聖書には神さまがくださる賜物について、興味深い二つの記述があります。
 そのうちの一つは、マタイの福音書25章にあるタラントのたとえです。ある主
人が、しもべたちの能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラ ントを渡
して旅に出ました。
 彼らは早速商売をして、それぞれ5タラント、2タラントをもうけました。
帰ってきた主人は、よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずか な物
に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに
喜んでくれ、と言いました。
 ところが、1タラントを預かった者は、地の中に隠しました。主人は彼に対
し、悪いなまけもののしもべだ、と叱責し、与えられていた1タラントを 10タラ
ントも持つしもべにやりました。
 ルカの福音書19章にも、同様な話があります。旅に出る主人が、10人のしもべ
に、1人ずつ1ミナを与え、商売をするよう命じたところ、それぞ れ10ミナ、
5ミナをもうけました。しかし、ここでも1ミナを隠していただけのしもべがい
て、彼の1ミナは、10ミナもうけたしもべのものとなり ました。
 だれでも、持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている
物までも取り上げられるのです、というのがこの話の結論です。
 この箇所でよく引っかかるのは、タラントやミナが、人の能力のように聞こえ
るところです。より多くの実を結ぶことはもちろんそれは大切ですが、 多かろ
うか少なかろうか、神の実を結ぶこと自体が大切なことなのです。神さまは、一
人一人がいかに忠実に用いたかという処に目をとめられるので す。数は神さま
がお決めになることです。私たちはただ、与えられたものに忠実でありましょ
う。 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年6月9日号(第731号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿