2013年6月19日水曜日


お前はもう死んでいる
 先日、北海道に来られたP牧師は、とても分かりやすい方法で、信仰を使うと
いうことを教えてくださいました。
 数年前の流行語大賞に選ばれた「北斗の拳」の格闘家が、手合わせした相手に
向かってこう言います。「お前はもう死んでいる」。するとどうでしょ う。体
のツボを突かれて、たちまちのうちに肉がさく裂し死んでしまうのです。
 P牧師はこのことを、信仰を用いるということに適用しました。まず、皆さん
が直面している問題を思い浮かべ、信仰を注いでこう言うのです。「お 前はも
う死んでいる」すると、どうなるのでしょう。問題は死にました。
 このことを学んだその帰路で、私は39度の熱を出し、悪寒や喉の痛みに苦しん
でいると、先ほど学んだ信仰の対応を用いてみよう、と思い立ちまし た。それ
で私は、風邪の症状と病に対して、「お前はもう死んでいる」と告白し、詰め
寄ったのです。熱は一気に37度台に落ち、その後平熱に戻りま した。
 それと同様なことが聖書に書かれています。ゼカリヤ書4章7節には次のよう
な言葉があります。それは「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベ ルの前
で平地となれ」というものです。
 ゼルバベルは、ユダヤの総督であり、主の宮の礎を据えた人物です。それだけ
のことをするには、よほどの困難や問題があったでしょう。それに対し て預言
者は前述のように彼に語り、励ましたのです。私たちにしても同様です。問題は
もう死んでいます。そびえ立つ問題の山は平地となりました。問 題が許される
のは、神がご栄光を現してくださるためなのです。
 それゆえどうか、あなたもまた私たちと共に語りましょう。「問題よ。お前は
もう死んでいる」                 (イスラエル北野)

 み声新聞2013年6月23日号(第733号)より転載—

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