2013年2月5日火曜日


富への追求
 夫と私は、箴言30章の祈りを愛し、よく祈ります。次のようなものです。
 「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえて
ください。(中略)貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分 の食物
で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ』と言
わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を 汚すことのな
いために」(7―9節)というものです。この祈りは、私たちの心の偽らざると
ころです。
 私には、お金持ちの伯母がいますが、吝嗇家です。お金持ちはお金をたくさん
持っていますが、それが目減りすることに敏感です。生活してなお余る お金を
持つということは、将来の蓄えなど決して悪いことではありませんが、それが度
を超えた富の追求となると、それはもうどうしようもありませ ん。
 自分がお金の主人であるはずが、知らないうちに富の奴隷になってしまい、減
ることを恐れてお金が使えない、となるとこれはもう本末転倒です。お 金は
使ってこそ生きるものだ、という一線を見失ってはいけません。
 お金は、私たちに何でも与えてくれるように見えるので、多くの人はお金に固
執し、富を得ようとあくせくしています。しかし、お金で、あらゆる欲 しい物
を手に入れたとしても、人の心は満足しないのです。
 ではどうすれば良いでしょうか。それは、イエス・キリストを信じ、救いを受
けることです。イエスさまは、全ての必要を満たしてくださいます。そ してこ
の世が決して与えることのできない、神の平安と喜びもくださいます。人にとっ
て1番必要なのは、お金なのではなく、神さまの愛なのです。
         (イスラエル北野)

 み声新聞2013年2月10日号(第714号)より転載—

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