2012年10月10日水曜日

コンプレックス

今は天にいる私の父は、自分と気性が似ている私に、幼少のころから一種の帝王学を教えました。どこに行っても通用する強さを持ち、また何があっても物おじしない娘へと育てようとしました。最低でも平均点、というのが父の教えでした。しかし、出来の悪い私はこの高いハードルに苦しみました。
 成人に達するころには、ついに無理が来て挫折しました。時流に乗って、うまく立ち回っている友人の姿を見ると、それができない自分を情けなく思 い、コンプレックスを覚えました。私は大学を休学し、医者を必要とする状態になってしまい、弱いことは私のコンプレックスとなりました。
 人生に絶望している時ほど、聖書が親しく語りかけてくることはありません。
神さまは聖書のことばを下さいました。このように書かれています。
 「主は遠くから、私に現れた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエ ルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう』」(エ レミヤ書31章3、4節)というものです。
 そのご約束通り、父なる神さまは、私を病から立て直し、愛を示し、私を再び教会へ戻してくださいました。
 父や私が嫌った弱さですが、神さまは「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(コリント人への手紙第二12章9節)とも語ってこられました。神さまのことばは真実です。弱さを感謝し、神さまの恵みの中に住まいましょ う。
 弱いことは、今や私にとっては尊いこととなりました。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年10月14日号(第697号)より転載—

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