2012年9月20日木曜日

医者を必要とする人々

 三十路を越えたころ、私は事故で子どもを失い、うつ病になってしまいました。私は生きることを投げ出し、最もひどい時のことは記憶に残っていま せんが、衰弱し、階段を上り下りすることも一人ではできませんでした。
 そのような状況でしたが、その時、聖書を開いてみると、ルカの福音書の「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」(5章31節)とい う一節がしきりと心に触れてきたことを覚えています。これはいったいどういう意味なのか分かりませんでしたが、今なら分かります。その時の私は病 人で、医者を必要としていたということです。
 神さまは瞬時に病をいやすことがおできになりますが、その時の私には、最善の医者を備えるという方法でいやしを与えてくださいました。魂の癒え ぬ傷に叫ぶ私に「必ずよくなるから」と真顔で答えてくれる新進気鋭の医師が備えられていました。こうして、長い間一人で抱えていた病の日々に、よ うやく治療の手が入りました。それは神の時であったと思います。
 マタイの福音書11章28節には「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげま す」と書かれています。私たちは疲れた人、重荷を負っている者です。担い切れない労苦をイエスさまはご存じで、私の元へ来なさい、私があなたを休 ませてあげますと語ってくださったのです。
 イエスさまは人生の医師です。失ったものを、再び立て直し、全てを益としてくださいます。私たちは皆、イエスさまを必要としています。イエスさ まの前に病はいやされます。主の前に重荷を下ろして安きを得ましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年9月23日号(第694号)より転載—



0 件のコメント:

コメントを投稿